『竜馬がゆく』司馬遼太郎・著(文春文庫・刊)
「よむ」で最初に紹介するのは、この『竜馬がゆく』と決めていました。
理由は簡単で、世界で一番面白い本だから。
ゴリゴリの独断ですが、多くの読者に支持されてるその魅力を、分かりやすく紹介します。
ところで「時代小説」と「歴史小説」、この2つの違いってご存じですか?
一般的に、歴史的な事実や人物を描くのが「歴史小説」。架空の人物を描くのが「時代小説」という使い分けがされています。
ただこのブログは、ジャンルの定義や文学論が目的ではなく、シンプルに面白い作品を紹介する場なので、両方をざっくり合わせて「時代小説」という言い方で統一させてもらいます。
時代小説が苦手と感じるという人も、少なくないんじゃないでしょうか。
なんだか古臭いし、そもそも、どうして何百年も昔の人たちの物語を?
現代が舞台の面白い小説が一杯あるのに?
これそのまま20代の頃、僕が思ってたことです。
そしてそんな先入観を木っ端みじんに打ち砕いてくれたのが『竜馬がゆく』でした。
『竜馬がゆく』とは
『竜馬がゆく』は、1962年から4年間、産経新聞夕刊に連載された司馬遼太郎さんの作品です。現在は文春文庫から全8巻で出版されています。
8巻は長いなぁ、と感じるかもしれませんが、ご心配なく。
いったん読み始めれば、その面白さに、長さは全く気になりません。
お金がかかるし、という方はもっと心配無用。『竜馬がゆく』を置いてない図書館はまずありません。
(ちなみに冒頭の写真、図書館の本なんですが、8巻目は貸し出し中でした……)
あらすじ
物語は、19歳の坂本龍馬が剣術修行のため、土佐から江戸に旅立つ(1853年3月)ところから始まります。
そして、江戸で修行を始めた直後、日本史を揺るがす「あの大事件」が起こったのです。
ペリー率いる「黒船の来航」(同年6月)です。
一般的に、この黒船(1853)から大政奉還(1867)までを「幕末」と呼び、それはそのまま『竜馬がゆく』の舞台となった期間にあたります。
大政奉還のひと月後、坂本龍馬は京都で暗殺されました。享年33(満31歳没)。
この間のエピソードは次のようなものです。
- 黒船来航
- 帰郷後、土佐勤王党に加盟
- 土佐藩を脱藩
- 勝海舟との出会い
- 亀山社中の設立
- 薩長同盟成立に奔走
- 寺田屋事件で瀕死の重傷
- 海援隊結成
- 大政奉還
- 龍馬の死
幕末とは
『竜馬がゆく』の背景となる「幕末」について簡単に補足しておきます。
なぜペリーの「黒船の来航」が、幕末の発端とされるのでしょう?
ペリーは、半ば恫喝するように徳川幕府に開国を迫り、幕府は抵抗かなわず「日米和親条約」によって下田と箱館の2港を開港することになりました。
ここに200年以上続いた日本の鎖国が終わりを告げます。
そんな幕府の弱腰外交に、多くの下級武士たちが不満を抱き「尊王攘夷(そんのうじょうい)」を叫ぶようになり、ついには「倒幕」へと向かっていくのです。
さぁ出てきました、幕末の定番キーワード「尊王攘夷」に「倒幕」!
尊王攘夷とは
「尊王」とは天皇を敬うという意味で、「攘夷」は外国人を排除するということ。
外国に弱腰の徳川幕府に対する不満から、幕府を倒し(倒幕)、天皇中心の新しい政権を作ろうという運動へと、過激化していったのです。
歴史が苦手な人は、だいたいこの「尊王攘夷」や「倒幕」「佐幕」「大政奉還」あたりのワードが出てくると、チャンネルを変えたくなります。僕もそうでした。
でもご心配なく。
分かるに越したことはないですけど、坂本龍馬のセリフと行動を追っかけているだけで、『竜馬がゆく』は十分楽しむことが出来るんです。
そして実はこの「セリフ」が、『竜馬がゆく』という作品の重要なポイントとなります。
これは後ほど解説します。
土佐藩について
坂本龍馬が生まれた土佐藩の、幕末当時の状況についても捕捉しておきます。
龍馬の実家坂本家は、随分と裕福な家だったようです。
ただし、武士としての身分は「郷士」。
当時の土佐藩の藩士には、大きく分けて「上士(じょうし)」と「郷士(ごうし)」という2つの身分がありました。
「上士」とは、関ヶ原で手柄をあげた山内一豊が、土佐の新藩主となったときに連れてきた配下の一族。
一方「郷士」は、それ以前に土佐を治めていた長曾我部(ちょうそかべ)家の武士だった一族。
つまり「上士」はバリバリの現社長の一派で、「郷士」は前社長派の残党ということ。
当然「上士」が身分は上で、「郷士」は屈辱的に見下されていました。
坂本龍馬の身分はその「郷士」だったのです。
龍馬、脱藩!
先ほど「黒船来航」の時、幕府の対応に不満を持ったのが「下級武士」だったと説明しましたが、土佐藩においてその中心は「郷士」たちでした。
長年、「上士」に虐げられた鬱屈が、幕府に対する不満によって火をつけられ、「土佐勤王党」という「尊王攘夷」を掲げた結社が結成されます。
実質的なリーダーは、龍馬の親友だった「武市半平太(瑞山)」。
龍馬もその一員となりました。
しかし、土佐藩全体を尊王攘夷の一色にしようとした武市に対し、保守的な藩の上層部を取り込むことなど出来るはずがないと見切った龍馬は、「脱藩」という道を選択します。
「脱藩」とは、武士が「藩」から無断で脱け出し、「浪人」になるということ。
当時としては、犯罪に等しい、というより犯罪そのものでした。
それを裏付けるエピソードが、『竜馬がゆく』第2巻「脱藩」の章にあります。
脱藩する龍馬に、別れた夫からもらい受けた刀を与えたことを責められ、2番目の姉(有名な乙女姉さんは3番目)が不幸な最期を遂げたのです。
龍馬の脱藩から数週間後、武市の指揮のもと土佐勤王党は、活動の邪魔になる「吉田東洋」という藩の要職にあった人物を暗殺しました。
そして脱藩した龍馬にも、その殺害容疑が掛けられたのです。
岩崎弥太郎
容疑者・坂本龍馬探索を命じられた一人が、後に三菱財閥を興した「岩崎弥太郎」。
福山雅治主演の大河ドラマ「龍馬伝」(2010)では、香川照之が演じてました。『竜馬がゆく』でもアクの強いキャラですが、「龍馬伝」の香川さんも、例によって相当なものでした。
ちなみに「龍馬伝」は、脚本家福田靖さんのオリジナル作品です。
素晴らしく面白いドラマでしたが、この作品にも『竜馬がゆく』の影響は大きかったと思います。
この岩崎弥太郎が、龍馬について語る印象的な一節があります。
第3巻「追跡者」の章から、引用してみます。
癪(しゃく)だが、おれより人間が上品(じょうぼん)だ。あいつが、おれに優(まさ)っているところが、たった一つある。妙に、人間といういきものに心優しいということだ。将来、竜馬のその部分を慕って、万人が竜馬をおしたてるときがくるだろう。竜馬はきっと大仕事をやる。おれにはそれがない。
引用:『竜馬がゆく』第3巻「追跡者」よりP31
この龍馬評こそが、作者の司馬遼太郎さんが、『竜馬がゆく』全編を通じて描こうとした、坂本龍馬の人物像であり、多くの読者を魅了し続ける最大の要因だと思います。
セリフの上手さ
『竜馬がゆく』のもう一つの魅力は、そのセリフの上手さにあります。
龍馬の土佐弁をはじめ、長州弁や薩摩弁などの方言を駆使した、人間臭くテンポのいいセリフが、ややもすると難解になりかねない幕末の歴史長編を、滑稽味あふれた極上の娯楽作品としてくれているのです。
脱藩した龍馬が、大坂で岩崎弥太郎とばったり出会った時のセリフです。
「弥太郎、相変わらず奇抜な顔じゃのう」
引用:『竜馬がゆく』第3巻「追跡者」よりP24
そして、剣には全く自信がない弥太郎が、同僚の手前、形ばかり刀を抜いて龍馬と向き合った時は、
「弥太郎、抜いたか、けなげだな」
引用:『竜馬がゆく』第3巻「追跡者」よりP27
こんな人を食ったようなセリフが、『竜馬がゆく』の全編に散りばめられています。
司馬遼太郎さんは、歴史をかみ砕いて講義してくれるだけでなく、時にコントのような軽妙さで、読む者を楽しませてくれるのです。
『竜馬がゆく』は、日本を代表する時代小説の傑作であると同時に、幕末を舞台にした青春娯楽小説という、もうひとつの顔を持っています。
そして坂本龍馬の強烈なキャラクターをフィーチャーした青春小説の側面こそが、読者から圧倒的な支持を受け続けている『竜馬がゆく』の最大の魅力なのです。
それからの龍馬
土佐藩を脱藩して、再び江戸へと向かった坂本龍馬は、その後の人生を決定づける人物に出会います。
幕府海軍の責任者「勝海舟」です。あの「咸臨丸(かんりんまる)」でアメリカに行った人ですね。
当時の日本人としては珍しい、海外経験のある勝海舟との出会いによって、龍馬はそれまでの単純な攘夷主義者から、実利的開国論者へと変身を遂げることになります。
外国に対抗するには、外国と貿易することで利益を上げ、それによって国力を強化する。そのための「開国」の必要性に目覚めたのです。
勝海舟の片腕となった龍馬は、一気に活動の場を広げ、幕末の表舞台へと出ていくことになります。
日本初の商社とも言われる「亀山社中」を設立し、それは後に「海援隊」へと発展。
そして倒幕の起爆剤となった「薩長(さっちょう)同盟」成立への奔走です。
薩摩と長州
幕末において、倒幕の野心と軍事力を持っているという点で、薩摩と長州は抜きんでた存在でした。
ところがこの2藩、絶望的に仲が悪く、手を結ぶことなど到底不可能に思えたのです。
そこで龍馬は一計を案じました。
武器の入手に困っていた長州にために、薩摩藩の名義で調達してやり、一方、米不足に困っていた薩摩には、長州藩から米を運ぶことで、両藩の和解に成功したのです。
こうして「薩長同盟」が成立し、時代は一気に倒幕へと向かっていきました。
大政奉還
薩摩と長州が武力による「倒幕」へと進む中、坂本龍馬は別の道を探っていました。
武力で幕府を倒すのではなく、幕府自らが朝廷に政権を返上する「大政奉還」という道です。
龍馬の策は、土佐藩から将軍へと進言され、それを受け入れた徳川慶喜は最後の将軍となったのです。
大政奉還からひと月後、坂本龍馬には、非業の死が待ち受けていました。
竜馬と龍馬
名前の表記については竜馬と龍馬の2つがあるのですが、どちらが正しいのでしょうか?
「高知県立坂本龍馬記念館」では、龍馬自身は「竜」の字を一度も使っていないことから、「龍馬」に統一しているとしています。
一方、作者の司馬遼太郎さんは、膨大な資料を基に歴史的事実を徹底的に調べあげた上で、『竜馬がゆく』というタイトルをつけました。
あえて「竜馬」という表記を選んだのは、歴史を踏まえたうえで、自分独自の「坂本竜馬」像を創り上げるという強い自負のあらわれだったのだと思います。
なおこのブログでは、司馬遼太郎さんに対して最大の敬意を払う意味で、司馬さんが創作されたタイトルと作品からの引用部分のみ「竜馬」表記とさせていただきました。
『竜馬がゆく』の現在
本屋さんには、毎年、毎月、毎週のように新しい本が入荷します。
当然、書店のスペースには限界があるので、新刊と入れ替わりに押し出される本が出てくるワケです。
では新しい本に取って代わられるのはどんな本でしょう。
古い本?
いいえ、必ずしもそうではありません。
これは、とある田舎、僕の地元の本屋さんの本棚です。
前述の通り、『竜馬がゆく』は1962年に新聞連載が始まりました。
つまり発表から60年もの時間が経過したわけです。
60年も前に発表された小説が、今でも全巻そろって、それも超絶田舎! の書店にすら並んでいるという事実が、何よりも『竜馬がゆく』が長年多くの読者に支持されている証ではないでしょうか。
坂本龍馬という名前を聞いたとき、誰もがイメージするあの強烈なキャラクターは、ほぼすべてこの『竜馬がゆく』から生まれたと言っても過言ではありません。
もう一歩踏み込んだ言い方をするなら、『竜馬がゆく』がなかったら、今ほど、坂本龍馬は一般に知られた存在であったかどうか……。
もちろんこの仮定は全く無意味です。
『竜馬がゆく』は60年前に発表され、今も読み継がれ、総発行部数2500万部を突破したのですから。
『竜馬がゆく』(文春文庫・全8巻)司馬遼太郎・著
世界で1番面白い小説です。
太陽系でも3本の指に入ります。
銀河系では先月、7位だったそうです。