2021年、ドラマ『北の国から』の主演俳優だった田中邦衛さんが亡くなりました。88歳でした。
久しぶりにドラマスペシャル全8作を見返したのですが、20年以上前の作品たちなのに、全く色あせない面白さと感動に、改めて驚きました。
『北の国から』を知っていますか?
『北の国から』は、黒板家という3人家族の生活を、21年の放送期間をかけて描いた作品です。
番組は、昭和(1981)から平成(2002)にかけて放送され、一時代を築いた人気ドラマでした。
シリーズ最終作『北の国から 2002遺言』の前編38.4%、後編33.6%という驚異的な視聴率からも分かる通り、日本のテレビドラマ史上、最も成功したドラマシリーズのひとつといえます。
その『2002遺言』の放送から、今年で20年。
若い人たちの中には『北の国から』を「知らない」、「見た気はするけど覚えてない」という人も多いのではないでしょうか?
そこで、最終作から20年目となる今、『北の国から』の魅力について、倉本聰氏の脚本を中心に紹介します。
ここで結論を先に。
「倉本脚本は、最高のエンタテイメント!」
唐突に鼻息荒く主張してしまいましたが、これがこの記事の最終着地点となる予定です。
『北の国から』作品データ
『北の国から』は、1981年にフジテレビで、24回の連続ドラマとして放送されました。
そしてその後、2002年までの間に、8本のドラマスペシャルが制作されています。
脚本家、倉本聰とは
『北の国から』のシリーズ全作品は、脚本家の倉本聰(そう)氏による単独執筆です。
倉本氏の脚本が、シリーズ成功の土台を創り上げたといえます。
倉本聰氏は、テレビドラマを中心に活躍する、日本を代表する脚本家です。
代表作には、『前略おふくろ様』(1975)、『あにき』(1977・高倉健・主演)、『北の国から』、『昨日、悲別で』(1984)、『風のガーデン』(2008)など多数。
80歳を過ぎてからも、『やすらぎの郷(さと)』(2017)、『やすらぎの刻(とき)〜道』(2019)という長期に渡る帯ドラマを執筆。
現在、88歳。
出版界への影響
『北の国から』は、出版界にも影響を与えました。
シナリオ本が、前後編合わせて40万部を売り上げたのです。
出典:『北の国から』連続ドラマ脚本・前後編 倉本聰・著 理論社・刊
それまでシナリオ本といえば、売り上げ数千部が精一杯の専門書、あるいはマニア向けの趣味の本という扱いをされていました。
しかし『北の国から』のシナリオ本が売れたことで、ヒットドラマのシナリオ本は売れる、と認識が変わりました。
それからは、山田太一氏や向田邦子氏、早坂暁(あきら)氏らのシナリオ本も、新刊コーナーに平積みされるようになったのです。
早坂暁氏の代表作には、『夢千代日記』(吉永小百合・主演)『花へんろ』(桃井かおり・主演)などがあります。2017年、88歳没。
ちなみに「1981年」とは
『北の国から』が放送開始した1981年は、「シナリオライター御三家」と呼ばれた3人に関する出来事が起こった年でした。
- 倉本聰氏脚本の『北の国から』(フジテレビ)のシリーズがスタートした。
- フジテレビ『北の国から』と同じ金曜22時、TBSで山田太一氏の連続ドラマ『想い出づくり。』が放送。
- 向田邦子氏、急逝。
2点目の山田太一氏とは、倉本氏とたびたび並び称される名脚本家です。
お二人は、同じ1934年の生まれ、同級生になります。
これほどのビッグネーム2人の作品が、同じ時間枠の裏表で放送されたことは、このとき以外ちょっと記憶にありません。
『想い出づくり。』が3週先行して始まり、4週目から直接対決となりました。
ビデオデッキをまだ持っていなかった当時、どちらを見るかは、ドラマ好きにとって、とても重要な問題でした。
自分に関して言うと、3週までは『想い出づくり。』を見て、4週目から『北の国から』に引っ越しました。『想い出づくり。』は後日レンタルで視聴。
出典:『想い出づくり』山田太一・著 大和書房・刊
ここで1つお詫びを。
引用写真の書籍の大半は、自分の本なのですが、どれも背表紙が変色しております。
30年以上前の本で、日焼けのせいもありますが、15年ほど前までヘビースモーカーだったため、少なからず、それが原因の汚れだと思います。
お見苦しい点、どうかお許し下さい……。
なお、ビデオデッキについては、長くなりそうなので、いずれ別稿にて。
さて。
『想い出づくり。』の平均視聴率は15.2%で、わずかに『北の国から』を上回っていました。
ちなみに、『想い出づくり。』は1クール14回。『北の国から』は2クール24回の放送でした。
ウィキによると『想い出づくり。』のオープニングタイトルでは、「。」と句点が含まれていたそうですが、シナリオ本のタイトルに、句点はありません。
山田太一氏の代表作には、『男たちの旅路』『獅子の時代(大河ドラマ)』『早春スケッチブック』『ふぞろいの林檎たち』などがあります。
2017年に脳出血を患われ、現在療養中とのことです。
3点目の向田邦子氏とは、倉本・山田両氏と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた方です。
この年(1981)、旅行先の台湾で、飛行機事故で亡くなりました。51歳の若さでした。
早すぎる死にもかかわらず、驚くほど多くの素晴らしい作品を残していらっしゃいます。
ドラマの代表作は、『阿修羅のごとく』(名作!)、『寺内貫太郎一家』(傑作!)。
小説集 『思い出トランプ』で直木賞受賞。
出典:『阿修羅のごとく』向田邦子・著 大和書房・刊 『寺内貫太郎一家』向田邦子・著 新潮社・刊
ちなみにこの『完本・寺内貫太郎一家』は、脚本ではなく、小説です。
脚本や小説も素晴らしいのですが、向田邦子氏について特筆すべきは、エッセイだと思います。
『父の詫び状』(1978)、『眠る盃(さかずき)』(1979)など。
教科書にも採用されたという、『眠る盃』(講談社文庫)に所収されている「字のない葉書」は、間違いなく後世に残る名エッセイです。
先日、30数年ぶりで読み返しました。
文庫本にして、わずか4ページ。
記憶の中では、短編小説ぐらいのボリュームがあったのですが、こんなに短く、全く無駄のない文章だったかと驚きました。
ご存じない方は、一読をおススメします。
5分の立ち読みで、人生観が変わります。
『北の国から』まずは視聴率から
『北の国から』連続ドラマ(1981) 全24回 平均視聴率14.8%
『北の国から′83冬』 26.4%
『北の国から’84夏』 24.3%
『北の国から’87初恋』 20.5%
『北の国から′89帰郷』 33.3%
『北の国から’92巣立ち』 32.2%(前編) 31.7%(後編)
『北の国から’95秘密』 30.8%
『北の国から′98時代』 25.9%(前編) 24.8%(後編)
『北の国から2002遺言』 38.4%(前編) 33.6%(後編)
視聴率を見てもらえば分かるのですが、連ドラの放送時点では、大ヒット作というワケではありませんでした。
連ドラ平均14.8%は、当時としてはギリギリ合格点ライン。
現在に置き換えると、平均10%という感覚でしょうか。
全24話中、ひとケタになった回もあり、中盤までは、ほぼ15%を下回っていました。
中盤以降は次第に安定し、15%以上を維持、最終回にはついに大台を超え、21%に到達しました。
スペシャル8作にいたっては、半分以上が30%を超えています。
このことからも、作品を重ねるごとに安定し、支持されていたことが分かります。
では『北の国から』はなぜこれほど支持されたのでしょう?
物語の面から検証してみます。
黒板家の設定
黒板五郎(田中邦衛)が、小学生の息子・純(吉岡秀隆)と、娘・蛍(中嶋朋子)を連れ、東京から郷里の北海道富良野(ふらの)に帰って来るところからドラマは始まる。
かつて五郎が住んでいた家は、今や熊笹(くまざさ)に囲まれた廃屋となっていた。
純「おじさん」
出典:『北の国から』倉本聰・著 理論社・刊 前編・第1話より P16
クマ(注・ニックネーム)「?」
純「ここらは熊出ませんか」
クマ「なンもだ。平気だ。ここらの熊は、気立てがいいから」
クマ、去る。
純「───‼」
これから住む家が、電気も水道もないあばら家同然と知り、純は愕然となった。
純「電気がないッ⁈」
出典:『北の国から』倉本聰・著 理論社・刊 前編・第1話より P20
トイレの板壁をはり直している五郎に、純、もうぜんとくい下がる。
純「電気がなかったら暮らせませんよッ」
五郎「そんなことないですよ(作業しつつ)」
純「夜になったらどうするの!」
五郎「夜になったら眠るンです」
純「眠るったって。だって、ごはんとか勉強とか」
五郎「ランプがありますよ。いいもンですよ」
純「い──。ごはんやなんかはどうやってつくるのッ⁈」
五郎「薪で焚くンです」
純「そ。──そ。──テレビはどうするのッ」
五郎「テレビは置きません」
純「アタア!」
黒板五郎はかつて、故郷を捨てて上京した。
職を転々とし、美容師の令子(いしだあゆみ)と結婚した後も、どこか東京に馴染めなかった。
そんな時、妻が浮気をし、家を出ていった。
五郎は人生を仕切り直すため、子どもたちを連れて、一度は捨てた故郷に帰ってきたのだ。
純は、富良野に連れて来られたことが不満で仕方なかった。
勉強もでき、私立中学に進学して勝ち組になるはずだった自分が、電気も水道もない田舎に移住することになるなんて。
東京の友人たちから取り残されていくことが不安だった。
何とかここから逃げ出し、母のいる東京に帰ることばかりを考えていた。
母が恋しくてたまらなかった。
純とは対照的に、妹の蛍は、富良野の自然に囲まれた暮らしを楽しんでいるように見えた。
でもそんな蛍も……。
沢で顔を洗っている五郎と蛍。
出典:『北の国から』倉本聰・著 理論社・刊 前編・第1話より P30
(中略)
蛍「父さん」
五郎「あ?」
蛍「もしも、私たちがいなくなっても、父さんここで一人で暮らした?」
五郎。
沢の音。
間。
五郎「そうだな」
間。
五郎「考えただろうな」
間。
五郎「でも──」
間。
五郎「さびしいけどきっと──」
間。
五郎「暮らしてただろうな」
間。
五郎「だれだってそうやって──」
蛍「───」
五郎「最後は一人に」
蛍「心配しないでいい」
五郎「───」
蛍「蛍はずっと──父さんといっしょにいる」
五郎。
間。
蛍には、純に言えない「秘密」があった。
母に会いたい一心の純に対し、その「秘密」のせいで蛍は母を避けていた。
蛍は母に甘えることが出来なくなっていたのだ。
こうして北海道の厳しい自然の中で、黒板家3人の生活が始まる。
倉本脚本の特徴
「間」について
引用からも分かる通り、倉本氏の脚本には、しばしばト書きに「間(ま)」という指示があります。
この「間」をどう表現するかに、役者は力量を問われることになります。
倉本氏は、ある対談でこの「間」について次のように語っています。
「間」と入れている場合は、ドラマの情況の中でその人の表情がどんな表情をしているか、見たいという時ですよね。
出典:『倉本聰の世界』山と渓谷社・刊 1993年12月20日・発行 より P117
出典:『倉本聰の世界』山と渓谷社・刊 1993年12月20日・発行
(この『倉本聰の世界』という雑誌には、『北の国から』の企画書が掲載されていて、興味深く読みました。今となっては貴重な資料です)
倉本氏は、出演者が顔合わせをする「本読み」という場にも立ち会い、セリフのニュアンスや意図について、細かく俳優陣に指示を出すことでも知られています。
脚本の意図を誤解をされたくないのと、自分の脚本に責任を持つという意思のあらわれだと思います。
しかしこれが演出家の職域に踏み込んでいると批判を受け、あのNHKとトラブルになり、大河ドラマ『勝海舟』(1974)を降板することになったのです。
この辺りの経緯については、氏の著作『愚者の旅 わがドラマ放浪』(理論社)で語られています。
その後、東京から北海道に移住し、氏の代表作である『北の国から』をはじめ、『昨日、悲別で』(1984)、『優しい時間』(2005)、『風のガーデン』(2008)といった、北海道を舞台にした作品が誕生することになります。
ナレーションについて
倉本脚本のもうひとつの特徴が、ナレーションです。
ナレーションには大きく分けて2つの種類があります。
ひとつは、情報を補足説明する「客観ナレーション」。
もうひとつが、「心の声」とでも言うべき「主観ナレーション」。
倉本脚本の場合、ほとんどこの主観ナレーションで語られ、「語り」という表記になってます。
『北の国から』では、息子「純」が全作品を通じて「語り」を担当していました。
当時小学生だった「純」役の吉岡秀隆に「語り」を任せるのは、冒険的決断だったと思います。
でも『北の国から』の大きなテーマである「父と息子のドラマ」を描くには、幼すぎるというリスクはあっても、どうしても純に「語らせる」必要があったのだと思います。
「父と息子のドラマ」というテーマについては、後ほど改めてふれます。
また、倉本脚本の最高のナレーション原稿を、この記事の最後に紹介します。
蛇足ですが……
昨年話題になったのが、『大豆田とわ子と三人の元夫』(脚本・坂本裕二 フジテレビ系)での女優・伊藤沙莉(さいり)のナレーションでした。
情報の補足という「客観ナレーション」でありながら、登場人物の心情を代弁したり、おちょくってみたりと、形式に縛られない自由奔放なナレーションが斬新で、超絶面白かったですね。
視聴率は残念でしたが、5年に1本の傑作だったと思います。
連続ドラマ『北の国から』のエピソード
『北の国から』は、息子の純の視点から語られます。
純の目から見た大人、とりわけ父・五郎の姿を通して知る「大人の世界」の本音と建前に、子供らしい正義感から時に怒りをぶつけ、あるいは打ちのめされ。
そして北海道の厳しい自然の中で生きる人たちの、強さや優しさを知り、純と蛍が少しずつ成長していく姿が描かれます。
語られる主なエピソードは次のようなものです。
〇廃屋での生活
電気も水道もない生活の始まり。
○雪子が来る
妻(いしだあゆみ)の妹である雪子(竹下景子)が、妻子ある男と別れ、傷心で富良野にやってくる。
○五郎の親戚の草太(岩城滉一)が雪子に惚れる
○三角関係、勃発!
結婚を約束したつらら(熊谷美由紀)がいながら、雪子にぞっこんの草太。
ずっとここに住む覚悟がないなら、居て欲しくない、と言うつらら。
雪子は、人にとやかく言われることじゃない、と言い返す。
○父と息子の溝
父に嫌われているのでは、と感じる純。
父五郎は、自分を裏切った妻の元に、純が今でも行きたがっていることに、こだわりを感じていた。
○やって来る妻・令子
子供たちに会いたがるが、五郎は今会えばこれまでの生活が壊れてしまうと断る。
夜、蛍は、パジャマについた残り香に、母が来たことを知る。
○吹雪に遭難する純と雪子
車が雪に閉ざされ、凍死寸前となる。
救援の車も走れなくなった時、二人を助けたのは老馬のひく馬車だった。
○つららの家出
周囲の者は、草太が雪子に気持ちを移したせいと知っている。
周りの冷たい視線を感じるようになる雪子。
○トラばさみ
蛍が餌付けしていた野生のキツネが、トラばさみという罠で、足を失う。
罠を仕掛けたのは、純たちを助けた馬の飼い主であり、命の恩人、杵次(きねじ・大友柳太朗)。
謝罪に来た杵次は、馬を売ることにしたという。
○母の入院
見舞いのため雪子と二人で、東京に来る純。
母の恋人・吉野信次(伊丹十三)から、東京に残って母といてやれと言われ、迷う純。
母もいて欲しいと言うが、純は帰ることを選択する。
北海道での半年が、純の中で、成長と変化をおこしていた。
○担任の涼子先生(原田美枝子)の過去
かつて涼子先生の教え子が、飛び降り自殺をしたという怪文書が父兄たちに送られてくる。
説明会に酔って現れた杵次は、涼子先生を激しく糾弾する。
純の命の恩人である杵次だが、酒癖が悪く、近所の評判も悪かった。
○杵次の死
その夜、五郎の家に酔っぱらって現れた杵次は、馬を売ったという。
杵次「あの野郎、感づきやがった」
出典:『北の国から』倉本聰・著 理論社・刊 後編・第15話より P77
五郎「──あの野郎って」
杵次「馬よ」
五郎「───」
杵次「今朝早く業者がつれにくるってンで、ゆんべ御馳走食わせてやったンだ。そしたらあの野郎──。察したらしい」
五郎。
杵次「今朝トラックが来て、馬小屋から引き出したら、──入口で動かなくなって。──おれの肩に、首をこう、──幾度も幾度もこすりつけやがった」
五郎「───」
杵次「見たらな」
五郎「───」
杵次「涙を流してやがんのよ」
五郎「───」
杵次「こんな大つぶの──。こんな涙をな」
(中略)
杵次「それからふいにあの野郎自分からポコポコ歩いてふみ板踏んで──トラックの荷台にあがってったもンだ」
五郎「───」
酔って自転車で帰っていった杵次は、翌朝、川で転落死体で発見された。
○五郎、丸太小屋を造り始める
○令子、再び北海道に来る。
しかし蛍は、母と話そうとしない。
そんな蛍に、「お前は冷血動物だ」と言い放つ純。
令子は東京へ帰る列車の車窓から、懸命に走りながら見送る少女に気付く。
蛍だった。
○富良野の夏の風物詩、イカダ下り大会
沿道の観客の中に、家出をしたつららの姿があった。
五郎たちは懸命につららを捜すが、見つからなかった。
○UFO事件、発生!
涼子先生とUFOを見に行った蛍が帰って来ず、大騒ぎに。
無事見つかったものの、純の軽口からマスコミに漏れて、担任が深夜、連れ回したと問題になる。
純たちの分校が廃校になるのを機に、涼子先生は遠くに転勤していく。
○五郎の恋
イカダ下りで知り合ったスナックの女・こごみ(児島美ゆき)と仲が深まっていく五郎。
○つららの噂
つららが札幌の風俗で働いているという噂が流れる。
○草太のボクシングデビュー戦
雪子と純は、札幌に応援に来る。
敗戦後、雪子の前に現れるつらら。
ファッション関係の仕事をしている、と明るく話す。
風俗のことを知っている雪子には、つららの嘘がつらい。
○令子の死
五郎の妻、令子が亡くなったという突然の報せ。
葬儀のため、雪子に連れられ、東京にやって来る純と蛍。
純は、遅れて来るはずの父がなかなか現れず、イラ立つ。
ようやく到着し、葬式には間に合ったものの、翌朝いちばんで帰ると言う五郎。
親戚たちに「薄情じゃないか」と言われるが、頭を下げるのみ。
○運動靴
葬儀の合間、母の恋人だった吉野(伊丹十三)に靴を買ってもらう純と蛍。
古い靴は持っていくか、と聞かれ、純はつい「いいです」と答えてしまう。
ゴミ箱に捨てられた運動靴が気になる純と蛍。
それは五郎が買ってくれた靴で、一年間、純たちと一緒に生活してきた靴だった。
それなのに、父に無断で捨ててしまったことを、純は後悔した。
○翌朝、一人、北海道に帰っていった五郎
遅れてきて、さっさと帰った五郎を、親戚たちは悪し様に(あしざま)ののしる。
すると富良野から来ていた草太の父・清吉(大滝秀治)が呟いた。
清吉「あいつがどうにも来れなかったのは──」
出典:『北の国から』倉本聰・著 理論社・刊 後編・第23話より P294
雪子。
清吉「はずかしい話だが──金なンですよ」
一同「───」
清吉「金が──どうにもなかったンですよ」
一同「───」
清吉「あの晩あいつ──わしとこに借りに来て、はずかしいがうちにもぜんぜんなくて──近所の親しい農家起こして──大人一人と子供二人──航空券と千歳までの代──それやっと工面して──発たせたですよ」
雪子。
清吉「翌日の昼、中畑ちゅうあれの友だちが、それをきいてびっくりして銀行に走って──でもあいつそれを、受け取るのしぶって」
一同「───」
清吉「だからあのバカ、汽車で来たんですよ。一昼夜かかって汽車で来たんですよ」
一同「───」
清吉の言葉に、純と蛍は「あの運動靴」を探すため、夜の街を靴屋に向かって走った。
○終章
富良野では、完成した丸太小屋の生活が始まっていた。
蛍が餌付けした、片足を失ったキツネも姿を見せてくれた。
連続ドラマ『北の国から』まとめ
紹介したエピソードでは、ラスト部分にしか登場していない「清吉」役の大滝秀治さんですが、連続ドラマの中では要所要所で、素晴らしい芝居を見せてくれました。
北海道の厳しい自然の中で生きる、「生活者」の肉声を伝える役として、倉本氏の脚本も、ひと際、力がこもったセリフを準備してありました。
そんな大滝さんも2012年、亡くなりました。87歳でした。
父と息子のドラマ
『北の国から』は、小学生の息子・純(吉岡秀隆)の語りで描かれ、「父と息子の関係性」がドラマの主旋律となります。
ドラマ前半、純にとって父は、自分と妹を母から引き離し、電気も水道もない生活に、強引に引きずり込んだ張本人という、反発の対象でした。
父の不器用さや、うだつの上がらなさ、セコさを情けなく思い、そのたびに母に会いたくなり、東京に戻りたいと純は切望します。
元々は、母の浮気が原因で別れることになったのですが、純に関しては不思議なくらい、母の裏切りを責める感情は描かれていないのです。
その理由とも思えるエピソードが、母の葬儀のパートで、純の回想として描かれていました。
それはかつて母が、父の卑屈さや、貧乏くささを嫌っていて、純自身も母に共感する部分があったというものでした。
そんな欠点だらけの父五郎ですが、一方で、子供たちが驚くようなこともしてみせます。
沢から水を引き、水道を作ったり、風力発電で電気を作ったり。
ついには、自力で丸太小屋まで建ててしまいます。
貧しさを知恵と工夫で乗り越える五郎の姿に、純は、金では得られない「何か」があることを少しずつ理解していきます。
それでもやはり、東京の母が恋しく……。
母と娘のドラマ
そんな純とは逆に、妹の蛍(中嶋朋子)は、不倫をし裏切った母を頑(かたく)なに拒絶します。
純にも言えなかった、蛍が抱えた「秘密」は、第4話で描かれています。(前編・第4話・P100)
蛍は父と共に、母の浮気現場を目撃してしまったのです。
純同様、本当は母が恋しいのに、父を裏切った母を許せない葛藤に、蛍は苦しみます。
ここに「母と娘」という、もうひとつのテーマがあります。
でも、母の突然の死によって、蛍と母との、直接の対話による解決はありませんでした。
「母と娘」のドラマは後に、ドラマスペシャルで意外な形で再現されます。
その作品、『北の国から’95秘密』は、すべての『北の国から』ファンにとって衝撃でした。
ドラマスペシャル・8作品について
ドラマスペシャルの全8作品のうち、『北の国から ’87初恋』以降の6作品は、ひと言でまとめると「純と蛍の恋愛遍歴」です。
純の恋
『北の国から ’87初恋』の初恋相手である大里れい(横山めぐみ)。
『北の国から ’92巣立ち』の恋人、松田タマコ(裕木奈江)。
『北の国から ’95秘密』の秘密を抱えたシュウ(宮沢りえ)。
『北の国から 2002遺言』の結(内田有紀)。
出典:『北の国から ’87初恋』『北の国から ’92巣立ち』『北の国から ’95秘密』『北の国から 2002遺言』
すべて 倉本聰・著 理論社・刊
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、魔性の女「りく」を演じて、話題の宮沢りえさんですが、『’95秘密』では弾けるような若さで、眩しいぐらいにオーラ全開でした。
内田有紀さんは当時、人気はあるけど、決定的な代表作に恵まれていなかった(私見)のですが、『2002遺言』の「結(ゆい)」役でついにそれを得ました。
さぁこれからの活躍が楽しみだ、と思ってた矢先の、突然の結婚引退の発表。
相手はまさかの、『遺言』での恋人だった「純」役の吉岡秀隆さん。
そういうことかと思ったのもつかの間、3年後には離婚と芸能界復帰。
今では安定した脇役として、大活躍ですね。
蛍の恋
『北の国から ’89帰郷』での和久井勇次(緒形直人)との初恋。
『北の国から ’95秘密』
『北の国から ’98時代』で、正吉(中澤佳仁)との結婚。
出典:『北の国から ’89帰郷』『北の国から ’95秘密』『北の国から ’98時代』
すべて 倉本聰・著 理論社・刊
さて、いよいよシリーズ史上最大の問題作、『北の国から ’95秘密』です。
この作品は、東京から富良野に戻り、市の臨時職員として働く純と、ある「秘密」を抱えたシュウ(宮沢りえ)のラブストーリーなのですが、蛍の恋愛も描いてました。
看護師になった蛍と、勤務先の医師・黒木との「不倫」です。
母の不倫をあれほど許せず、嫌悪した蛍が、母と同じ轍(てつ)を踏んでしまったのです。
小学生の蛍から見ている視聴者にとって、これは衝撃でした。
かつて妻が犯した不倫を、娘の蛍が繰り返したことに、父・五郎の受けたショックは尋常ではありませんでした。
駆け落ちした蛍の元を、五郎は純と共に、訪ねて行きます。
五郎と純が、蛍に会うこの一連のシークエンスは、『北の国から』の全シリーズ中、最も滑稽で、かつ重いシーンかもしれません。
喫茶店
出典:『北の国から ’95秘密』倉本聰・著 理論社・刊 P139
(蛍に会っている五郎と純)
蛍「───」
五郎「それでその──お相手の──(純に)何てお呼び」
純「先生」
五郎「うンその──先生もお元気で」
蛍「元気」
五郎「よかったァ! ねえ! こんな淋しいとこで。昔は東京にいた偉い方なンでしょ?──ゴクロウサマ」
蛍「───」
五郎「本当は父親としてちゃんとご挨拶すべきなンだろうけど、(純に)こういう(蛍に)現在の(純に)どういうの、立場? からして──(蛍)やっぱりご挨拶しとくべきかしら」
蛍「(笑って首ふる)伝えとくから」
五郎「アそう⁈ 助かるそれだと! ハハハハ、挨拶、こういう場合の。見当つかない。ヒッヒッヒッヒッ」
田中邦衛さんの狼狽ぶりが、滑稽で悲しく、中嶋朋子さんの芝居には圧倒されます。
そんな蛍の重い恋は、次の作品『北の国から ’98時代』で一つの区切りを付け、意外な人物との結婚として着地します。
幼馴染みの正吉です。
正吉にとっては、初恋の相手ともいえる蛍との結婚でしたが、そこには一つの覚悟がありました。
蛍のお腹には小さな命が宿っており、その父親は正吉ではなく……。
そのことに、富良野の住人たちも薄々気づき始め、例によってひと波乱起こります。
『北の国から』シリーズ全作品・まとめ
ここまで『北の国から』の連続ドラマと、ドラマスペシャルについて紹介してきました。
最後にシリーズ全体のまとめと、鑑賞法についてふれたいと思います。
シリーズまとめ
『北の国から』は、24本の連続ドラマと、8本のドラマスペシャルが、21年に渡って放送されました。
全シリーズは、次のように2つのパートに分けられると思います。
『北の国から』連続ドラマ
『北の国から′83冬』
『北の国から’84夏』
『北の国から’87初恋』
『北の国から′89帰郷』
『北の国から’92巣立ち』
『北の国から’95秘密』
『北の国から′98時代』
『北の国から2002遺言』
1部の「少年期」では、ドラマの比重は、純の目から見た父・五郎に置かれていました。
情けなく欠点だらけの父・五郎に、純は呆れ、怒り、不満を感じます。
でも時に五郎は、そんな欠点を補って余りある、優しさと強さを、純と蛍に見せてくれます。
2部では、「青年期」を迎えた純の、恋愛にまつわるドラマに比重を移し、蛍の恋も描かれます。
五郎は、二人の恋に振り回されたり、狼狽したりしながら、その成長を実感するのです。
シリーズのその後
1981年に始まったシリーズは、2002年、『北の国から2002遺言』でその幕を閉じました。
その後、脚本家の倉本聰氏は、シリーズ再開を強く望んだそうですが、フジテレビは結局、それに応じることはありませんでした。
映像化はされていないものの、倉本氏は、黒板家のその後のドラマの構想を描いています。
ウィキペディアに「ドラマ終了後の構想」として掲載。
興味のある方は、覗いてみて下さい。
おススメの鑑賞法
『北の国から』は、全シリーズ、DVD・ブルーレイ化されています。
メジャーな作品ですから、ほとんどのレンタルショップに置いてあると思います。
21年分の放送量なので、たっぷり時間をかけて楽しむことが出来ます。
さて。
もうひとつ、DVDとはちょっと違う、鑑賞法があります。
それは、倉本聰氏の脚本です。
1部は倉本氏の脚本で。
2部を、DVDの映像で視聴するのが、おススメの鑑賞法です。
脚本という活字からドラマ世界に入るという、新しい体験を試してみて下さい。
おそらくほとんどの方は、ドラマの脚本というモノを読んだことがないでしょう。
「小説ならともかく、脚本ってなんか面倒くさそう」と、思われるかもしれません。
そんなことはまったくありません。
この記事の中で、繰り返し引用させてもらった倉本脚本から分かるように、日常の言葉をセリフとして、そのセリフを中心に作られているのがドラマの脚本です。
(もちろん構成という一番大事な要素がありますが、それは書き手の問題なので)
脚本は、役者や現場のスタッフだけでなく、誰もが楽しむことが出来る文学=読み物です。
そして、脚本を一般の読者に、読み物=エンタテイメントとして広めたのは、倉本聰氏でした。
そのきっかけが、40万部以上を売り上げた『北の国から』のシナリオ本の出版だったのです。
「倉本脚本は、最高のエンタテイメント!」です。
やっとたどり着きました。
この長い記事で、一番伝えたかったのはこのことです。
脚本を読み漁っていた頃、最も影響を受けた作品の一節を、最後に引用させてもらいます。
これは『前略おふくろ様』(1975・日テレ)という作品の冒頭、主人公サブ(萩原健一)の母(田中絹代)が、息子に宛てた手紙です。
母の声「前略、さぶろうさま。
これでもうまる一年、あなたの手紙をもらっていません。母は、ちっとも心配はしていませんが、生きているか死んでるか、それだけ簡単にお知らせください。生きてる場合はいざ知らず、死んでる場合にはお葬式の支度などいろいろ都合がありますから。ご存じのようにこっちには、結婚式とかお葬式の大好きな親戚がいっぱいおります。あなたが死んだといってやったら、きっともうみんなただ酒が飲めると大よろこびで集まってくるでしょう。私も苦労の種がへってこんなうれしいことはありません。母に期待ばかりさせないで、死んだなら死んだと一刻も早く知らせてちょうだい。
母は遠く山形からドキドキ期待して待っています」
出典:『前略おふくろ様』パート1(1) 倉本聰・著 理論社・刊 P5
1975年、今から約半世紀前に放送された作品です。
手元のシナリオ本を見ると「1985,2,10読了」とあります。
脚本を読んで、あまりの面白さに衝撃を受け、レンタルショップに走ったのを覚えています。
もし近くの図書館の蔵書にあったら、ぜひ読んでみて下さい。
「倉本脚本は、最高のエンタテイメント!」の意味を、納得してもらえると思います。
最後に
記事のタイトルにある「ノーベル賞まだ?」というのは、もちろん、冗談ではありません。
「テレビドラマがノーベル賞なんて」と、苦笑する方。
脚本は、文学のひとつの形式です。
それを、一般の読者にまで広めたのは、倉本聰という日本を代表する脚本家です。
ホントはノーベル賞なんてどうでもいいんですが、倉本脚本をもっと広く読んでもらうには、一番手っ取り早い方法だと思うので。
お察しかと思いますが、ハイ、わたくし、『倉本教』の割とファナティックな信者です。
宗教色はありません。
政治色は、もっとありません。
献金もしてません。
買ってるのは、ツボではなく、シナリオ本です。
実は、一度だけ、ご本尊を拝したことがあります。
プロフィールにも書いたのですが、若い頃、放送局でADのバイトをしていました。
ある日、放送局でエレベーター待ちをしてて、ドアが開くと、そこに──。
トレードマークの、あのギロリとした双眸(そうぼう)で、毅然と、あるいは厳然と、もしくは粛然と立ってらっしゃいました。
なにせご本尊ですから、えも言われぬ威厳があり、必然的に画数の多い漢字が並ぶワケです。
それにしても、あの瞬間の気持ちを、どう表現したらいいのか……。
「架空の人物」や、「空想上の生き物」ではなく、現実にちゃんと存在していらっしゃることを、目の当たりにしたときの、あの興奮と感動!
そして次の瞬間、
「ああ、ココ(放送局)とは、無事和解なさったんだ」と知り、信徒の一人として、心からホッと安堵したのでした。
おわり。